ARTIST INTERVIEW

おれちょ本多・神園宏彰 独占インタビュー

「偶然を受け入れ、余白にゆらぐ」

二人展「Luminous + Echo (光の残響)~2026」

<2026年2月20日(金)〜3月8日(日)>

光の角度、見る時と場所、そして人の感情によって世界は多様に現れる。神園宏彰とおれちょ本多に共通するキーワードは「光」。作品の背景やアートがもつ力について、それぞれに話を聞いた。

「現代に生きる人をつなぐ美術」       ー神園宏彰

ーー《光の集積》シリーズが生まれた背景について教えてください。

このシリーズを手がけるようになったのは2017年頃です。最初は黒を基調としたドローイング作品でしたが、2020年から(現在の)赤と白の表現になりました。きっかけはコロナ禍です。あの社会的状況で「絵を描くこと」「制作とどう向き合うか」を改めて考えるようになり、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《マグダラのマリア》という作品を思い出しました。

この絵を私は1988年にルーブル美術館で観ているのですが、ずっと心に深く残っています。ラ・トゥールが生きた時代はペストが流行したパンデミックの時代で、まさに私たちが置かれていた状況と重なり、(作中の)ロウソクの炎を抽象画として表現するアイディアを思いつきました。

炎、つまり小さな光を一つひとつ集めていったら、画面はどうなるのか。その光を「一人ひとりの人間」に見立て、似ているけれど違う存在が集まり、世界が成り立つこと、時代によって炎が揺らぐことを表現しています。

炎というモチーフから再構築した抽象、赤と白の反復表現は自分でも面白い展開だと思っています。

ーー《マグダラのマリア》から赤と白の反復表現になったのが興味深いです。どのような発想だったのでしょうか?

赤は洞窟の暗闇を照らす炎を、白は明け方に洞窟内へ差し込む陽の光を意味しています。赤い火を描くことで、必然的に白い光が現れる。そうして、光は集積していく。光は「余白」という概念を含んでいます。

モダニズムとは、すべてを思い通りにしようとする発想から始まったと思うのですが、(世界には)コントロールできない部分が必ずある。それが余白だと思っています。

意図的に余白を作るというより、描いていく中で余白が「生まれてくる」。それを受け入れる。これは日本人特有の感覚かもしれません。赤を描いているうちに、白が立ち上がってくる。赤が白を呼び、白がまた赤を呼ぶ。その連関がグリッドや反復という形になりました。

ーーグリッドや反復が示唆するものとは?

反復に込めたのは、時間です。時間は僕にとってもうひとつの絵の具といえる。作品を作るとは、時間を埋め込むことでもある。テクノロジーを利用して、早く仕上げるのもいいですが、時間をかけることがとても重要です。

また、人は必ずどこかで繋がっているけれど、同時に隔たりがある。その関係性をグリッド上で表現したいと考えました。これは中国の古書からの影響があります。(欄格や界線といった)マス目状の中に文字が収まっていて、引いて見ていくと世界として広がっていく。その構造が人と人のつながりを想起させると感じました。チェスや碁の盤も人間の思考の構造に似ているんじゃないかと思いました。グリッドなしに僕の作品は成立しにくい。

ーー同じく光をテーマとする、おれちょ本多さんについて。

以前から知り合いではあって「いつかは一緒に展示をやれたらいいね」と話はしていたんです。昨年のAFAF(ART FAIR ASIA FUKUOKA 2025)で作品を改めて拝見して、進化しているなと感じました。

ホログラムという技法自体がとても面白い。花などのモチーフには日本画のようなテイストが感じられ、工芸的な制作プロセスとマッチしている。彼の作品の魅力はインターネットや写真では伝わりにくいので、実際に観た方がいいと思います。

彼が光をどう捉えているかは正確にはわかりませんが、スマートフォンなどありとあらゆる光に囲まれている時代にあって、彼の捉える光がどう浸透していくのか非常に興味があります。面白い存在の作家だと思います。

ーー《光の集積》シリーズを手がけて10年になろうとしています。どのような手応えを感じてらっしゃいますか。

僕の表現のベースは赤なので、赤をどう展開させるかをずっと考えています。「赤といえば神園」「神園といえば赤」というところまでいけたとして、その先どう広げるか。他の色を入れていくのか、異なる要素を持ち込むのか、いろいろ試しています。今回も再生紙を重ねるという新しい手法を採り入れた実験的な作品を出します。

僕にとって作品は「自分の考えをトレースする場所」。上手い下手ではなく、自分の思考を二次元に投影することがテーマです。思っていること、伝えたいことはいろいろありますが、人間としての存在痕跡をどう残すのかをずっと考えています。

それは一人の人間としてなのか、普遍的な人間像なのかは僕もわかりません。でも、50年後あるいは100年後に伝わる可能性があると思って制作しています。

ーー神園さんにとっての作品は、人間をつなぐ希望でもあるのですね。

美術・美術作品というものは古来から人を繋ぐものです。その影響力は時に力強い。現代美術というものは文字通り現代に生きる美術です。現代に生きる人同士をつなぐものといえます。

そこには作家だけでなくギャラリー・キュレーター・コレクターなど多くの方々とのつながりが生まれてきます。勿論作品ありきで、作品が出会いを生む。そう信じています。今回、おれちょさんとの2人展ですが、(彼とも)作品の力によって出会ったのだと思います。この2人展を機にこの先多くの出会いがあることを願っています。

「人の認識が混じり重なって、世界は形作られる」       ーおれちょ本多

ーーアーティスト名の「おれちょ」。作品の印象からすると意外な作家名です。

「己を超える」という意味からの造語で、もとはオリジナルキャラクターにつけた名前です。僕の表現は、その時々に向き合うテーマによってスタイルは変化していますが、自分の枠を越えて挑戦するという創作姿勢を表しています。

ずっと本名で活動してきましたが、名前を覚えてもらいたいと思い、2022年に改名しました。作家として活動を始めた頃は、今のようなコンセプチュアルな方向ではなく、外の世界にテーマを探していました。でも、なかなか見つからない。ならば思い悩んでいる自分自身の内面をテーマにすればいいのではないかと考え、その時々に自分が考えていることや乗り越えるための方法を短い文章やタイトルにし、キャラクターに体現させて「おれちょ」と名付けました。

ーーキャラクターをモチーフにした作品がありつつ、現在は主となるのがホログラム作品。きっかけは何だったのでしょうか。

子どもの頃から「ビックリマンシール」が好きで、今もコレクションしてます。いろんなキャラクターがいて宝石のようなキラキラした感じに惹かれ続けていて、今思えばそれが僕の最初の美術的体験だったと思います。

ホログラムは光が当たる角度によって見え方が変わるのがすごく面白いと思っていて、マスキングテープやシート状のホログラム素材を集めてはいたんです。当時は筆で緻密に描く表現にフォーカスしていたので、どう作品に落とし込むかは見えていませんでした。

そこからコロナ禍に入って「何が正しいのかわからない」「見方によって世界が変わる」と考えるようになり、自分の価値観の揺らぎがホログラムの見え方と重なりました。

ーー「世界を形作るのは、人々の認識」だとおっしゃっています。

ものごとの印象や捉え方は人によっても時間によってもまったく違います。例えば駅であれば、学生時代に通学に使っていたときは憂鬱な場所だったけど、今となっては思い出の場所になったりというふうに。自分ひとりが認識していても、他の人も同じようにその存在を認識しているかはわからないですよね。

僕は2000年頃からずっと写真を撮っています。写真は気になった瞬間に撮らないと、その時目にしている光景や存在が消えてしまう感覚があります。また、撮った瞬間の気持ちと時間が経って見返した時に抱く感情には柔らかな変化があります。

さらに、その感情は絵に描くことでも変化し、鑑賞者が見ることで別の解釈が生まれる。ひとつの場所や植物を描いても、捉え方に厚みと幅がある。そんなふうにさまざまな人の認識が混じり重なって世界は形作られていると考えています。

作品のテーマは「視点により創られる現実世界」。多視点で世界と現象を捉え、そのなかから自らの視点を選び取り、現実世界を創ることを表現しています。

ーー柔らかな変化。ご自身にはどんな変化がありましたか?

以前は、きっちり計算通りに描くことが中心でした。「おれちょ(己超)」というコンセプトにしただけに技術を高めようという気持ちが強く、思った通りに手を動かすことに価値を置いてました。筆遣いは結構練習して自分のイメージ通りに描けるようにはなったのですが、今は筆はほとんど使わなくなりました。

今のシリーズ作品ではノズルから絵の具を絞り出すようにして描いているのですが、時間が経つと(絵の具が)広がったり想像しないような変化が起きます。コントロールが難しいのですが、その難しさが面白く、偶然性を受け入れる表現になりました。

ただ、慣れてくると偶然性も分かってくるようになり、コントロールしようとします。それでまたコントロールしづらい表現を探す。その繰り返しですね。現代は情報が多く、なにをするにしても偶然の出会いが少なくなっている気がします。僕もつい検索してしまうのですが、偶然の出会いを大切にしたい。

ーー神園さんはおれちょさんの作品に「日本画のような印象」がある、とおっしゃっていました。

螺鈿や金箔のような日本の伝統工芸や美術品の装飾、それらがもつ美しさは意識していますね。ホログラムの作品では線画表現がメインとなるので、いろいろと制約があるんです。そのなかで植物の美しさを表現するのに日本画の線の引き方、余白の取り方は参考になります。最近は格子状に和紙を貼るシリーズにも取り組んでいます。

ホログラムシリーズは一見同じように見えるんですけど、少しずつ新しいチャレンジをしています。初期の作品は線画を塗るのも一層だったのですが、最近は三層、四層と塗り重ねるなど細かい表現を入れるようになってます。

ーー展覧会のタイトルには「残響」ともあります。神園さんの作品とどう響くか。

神園さんの作品も一見同じように見えるんですが、実は細かな挑戦を続けている。その姿勢にシンパシーを感じます。きちんとした仕事を積み重ねながらコンセプトを洗練させていく姿は修行者のようにも見えて、とても好感を持っています。

今回の展覧会は「見え方が変わる」というテーマ。2人に共通するものですが、僕は角度や光によって見え方が変わることを、神園さんは距離や時間によっての変化を表現している。そうした違いがある二人の作品が同じ空間に置かれたとき、光がどう影響し合うのか。空間全体で体感できるものがどんなものになるのか楽しみです。

ーー鑑賞者にどんな体験をしてほしいと思いますか?

観る方が二人の作品を通じて光を体感することで、抱えている問題や悩みに対する気づきが直感的に降りてきてくれたらうれしいです。自分自身が芸術作品に触れ、価値観を揺さぶられ、自由になれた経験があります。「現代美術は難しい」と構えず、自由に捉えてほしいですね。

おれちょ本多は、作品を発想した背景のひとつに仏教の「空」思想の影響を挙げる。すべての存在や事象には実体はなく、さまざまな原因や縁は偶然であり、いかなるものも執着から解放され自由な存在であり続けるというもの。本多の作品の光に調和した世界を予感する。

神園宏彰は揺らぐ炎に人間の存在を重ね合わせ、そこに生まれる光を描く。光とは余白であるとする彼の作品は、情報過多となり反応が先立つ現代が余白を喪失した時代であることも示唆する。確かなのは、人間には希望があることへの信頼。そのように赤を灯す。

ふと差し込んだ光に浮かぶ世界の輪郭とは。2人展「Luminous + Echo(光の残響)〜2026」はYUGEN Gallery FUKUOKAにて3月8日(日)まで開催。

ABOUT ARTIST

おれちょ本多
おれちょ本多
Orecho HONDA
ホログラム素材を用いて日常にある輝きを表現する現代アーティスト ファッション、ロックミュージック、デザイン、精神世界、仏教思想などに影響を受け、多様な視点が可視化される現代社会に関心を持ち「視点から創られる現実世界」をテーマに制作を行っている。 独自の技法で描かれた虹色に輝く作品は、現実の多面性を表現し、誰もが己の枠を超え変化し続けられる事を信じ、視点を意識的に選ぶことの重要性を問いかける。
神園宏彰
神園宏彰
Hiroaki Kamizono
現代美術作家 福岡市在住 武蔵野美術大学卒業 神園宏彰は具体美術運動と繋がりのある新しい抽象表現の作家である。それと同時に稀有な道筋を辿った作家でもある。若い頃は写真表現を主としていてゴッホの足跡を追った『ひまわり』のシリーズはヨーロッパでは好評を得ていた。シリーズの中の『29/7/1990`s portrait of vincent van gogh』は、アルルにあるゴッホ財団美術館にデヴィットホックニーなど世界で有名な作家等と共に収蔵されている。

ABOUT EXHIBITION

展覧会

Luminous + Echo (光の残響)~2026【福岡】

会場

YUGEN Gallery FUKUOKA
福岡市中央区大名2-1-4 ステージ1西通り4F

会期

2026年2月20日(金)〜2026年3月16日(月)

開館時間

11時〜19時
※最終日のみ17時まで

休館日

毎週火曜日

レセプション日程

2月28日(土)/作家在廊+交流会 16:00〜19:00【終了】

在廊日

おれちょ本多/2月27日(金)11:00〜17:00、3月1日(日)15:00〜17:00、2日(月)11:00〜15:00、6日(金)11:00〜15:00、8日(日)15:00〜17:00

入場料

無料

注意事項

※在廊日やレセプションについて、最新情報は随時こちらで更新いたします。
※状況により、会期・開館時間が予告なく変更となる場合がございますのでご了承下さい。