瞬間と永遠のブロウ
「あんたはスペード(くろんぼ)で、俺はオフェイ(しろんぼ)だが、おれたちは同じソウルを持っている。一緒にブロウしようじゃないか」
(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』ドナルド・L・マギン著 村上春樹訳 新潮社より抜粋)
ジャズ・トロンボーン奏者のジャック・ティーガーデンが、ルイ・アームストロングに出会った時に交わした言葉には出会いの興奮、そして終生変わらない相手への畏敬の念に満ちている。西元佑貴の墨絵は、まさにそんな白と黒のブロウ。
西元祐貴は、世界的なスポーツイベントでヴィジュアルイメージに採用されるなど、今世界から注目を集めているアーティストのひとりです。躍動感のある筆致でスポーツをモチーフにした表現でその名が知られるところになりましたが、龍や虎など古典的なモチーフや風景画も手がけ、2016年からは陶板に絵を描く陶芸と墨絵を融合した〈陶墨画〉に挑み墨絵の表現領域を広げています。
生きる実感を宿す墨絵
作品に一貫するのは躍動感。その源泉は幼少の頃から絵を描くことと同じく明け暮れたスポーツにあります。隆起する筋肉や身体の動きの美しさはもちろん、競技の瞬間を捉えた写真のブレ感などに「生きる実感」を見ていました。
「(絵を描き終えた後に)修正を入れるのが好きではなく“一発勝負”での表現を突き詰め、油彩、水彩、デッサン、アクリルなどあらゆることを試し墨に辿り着きました。一筆入れた瞬間から後戻りできない、失敗が許されない緊張感」が西元を作品に向かわせます。
徹底的に対象を観察し、デッサンを重ねた上で一発勝負に挑むのがスタイル。あえて構図のバランスを崩したり、入るべき陰影を描かないことなど観る者の想像をかき立てます。
再現描写を重視した西洋絵画に対して、形を写すのみならず絵師が対象の本質を読み取り、主観的に描く水墨画。白い紙に落とし込まれた墨の濃淡、にじみ、ぼかし、グラデーションは、西元が「白黒の中に何百色も潜んでいる」と言うように、見る者それぞれに異なった色彩を感じさせます。西元の作品を観た人の中にはモノトーンなのに赤く映ったとの感想をもつ人もいるのはそのためでしょう。
水墨画において、絵を描き観賞する上で重要な教えとして中国で古くから言われる“画之六法”。この作画上の規範の中で「気韻生動」は対象の気の生動感の表出を説きます。現実から離れない中国と違い、日本ではより自由な表現を目指し、光と大気を捉え躍動感のある生命を描くことが好まれました。それは批評家のケネス・クラークが風景画はただの記録ではなく、特定の眺めを前にした画家の感動の表現でなければならず、人間味あふれるものとして描かねばならないといったことにも通じます。
永続性を表す〈陶墨画〉
ライブペインティングではテーマを決め、緻密なスケッチを重ねて準備をしても現場ではまったく違うものになります。現場の空気を感じ取り、題材をその場で変えることも珍しくありません。「墨と紙は自分にとって聖域で、その覚悟がない限りは筆は握りません。その緊張感こそが作品、ひいては作家活動の生命線」だと話します。
2015年、日本六大古窯「越前焼き」の窯元から誘われる形で取り組んできたのが陶墨画。素焼きの陶板に専用の釉薬で色を重ねながら描き、最終的に1200度で焼き上げるため半永久的に作品が残ります。これは即時性の現れである墨絵やライブペインティングに対しての永続性を表す試みといえます。筆の滑り方から色の出方まで和紙とは全く別世界が現れ、墨を突き詰めてきた作風はもとより墨絵の新しい可能性を確立しました。
「最初は、墨絵のタッチで陶板に描くことがコンセプトでしたが、釉薬の混ざり合い、土の色、火の温度そして季節によって完成まで想像がつかない。そんな色味の面白味を発見しました。陶板が割れてしまったり失敗ばかりで苦しみもしましたが、6年取り組んでようやく狙った色が出せるようになり、自分の表現が広がっていると感じます」
これをきっかけに西元は制作活動の拠点を福井に置き、越前焼きのみならず和紙職人らとの出会いから新たな表現を見出しています。これは陶芸が土、水、火、風との交流であるように、継承されてきた技術と対話し他者もアップデートしているといえます。
自らの殻を破る宣言
「以前は人と話すことも正直好きではありませんでした。でも、作品や活動を通して、人に出会い、視界が開けてきたと感じています。会話の中で出た言葉ひとつでも、自分にはないものに出会えた時の衝撃から作品が生まれる。だからこそ日常生活が大切だと思えるようになりました」
活動を始めた頃は他人を寄せ付けず、アートも好きではなかったと西元は話します。そんな閉塞した態度とは自身の弱さからくるものであり、迫力ある力強いタッチは自身の弱さを受け止め、それを乗り越える宣言でもあったことに気づきます。
「これまでの作品を振り返っても自分は弱かったと感じます。臆病で、対象物も正確に写し取ろうとしてしまう。でも、そのコンプレックスを打破するのが創作であり、自分の弱さを越える方法が墨絵だったのだと思います」
福井という自然豊かな地で制作を行うようになり、躍動感ばかりではない表現にも関心が湧いているとしながらも、これまで以上に力強いタッチ、表現を求めていくと話します。今回の展示はこれまで以上に躍動感を意識した内容となり、そこに水墨画はもっと進化できるとする西元の確信が見て取れます。
「世界は良くないニュースに溢れているけれど、だからこそハートはもっと熱くしたい」。他者との交感、緊張という舞台で起こる即興。それは瞬間と永遠のブロウ。ジャズの管楽器と同じく、西元は筆と墨で精神と肉体のありようを全開にします。それは観る者に自らの殻を破るスリルとなって躍動することでしょう。