被災した九谷焼の名作を記録
黒の空間に置かれた九谷焼作品。そのどれもが割れ、欠損した縁は研ぎ澄まされた描線のように浮かび上がる。いっさいの無駄はなく、 なにひとつ欠けることがない。以前もその形以外にはあり得なかったように存在する器。
110年以上続く石川県小松市の窯元〈錦山窯〉は2024年元日、能登半島地震に被災。建物被害などの大事には至らなかったものの三代にして人間国宝・吉田美統をはじめとする名工らによる作品が損壊しました。不条理にも破壊された国宝級の作品を写真家・蓮井幹生が撮影した写真作品17点を本邦初公開。本展での作品の売上の一部は復興支援に寄付いたします。
破壊されてもなお、現れる美しさ
蓮井幹生は1955年東京都生まれ。アートディレクターとして活躍しながら写真を独学し、1988年に写真家へ転向。以来、広告やポートレートを中心に活躍しています。キャリア初期の1990年代から水平線をテーマに世界中の風景をパノラマカメラで撮影した《PEACE LAND》、霧に覆われる山々を捉えた《HIDDEN LANDSCAPE》といった自然の摂理をテーマに写真作品を精力的に発表。2009年にはフランス国立図書館に作品が収蔵され、海外でも高い評価を得ています。
蓮井は数年前に知り合った〈錦山窯〉四代・吉田幸央と妻るみこから被災状況を聞くに及び、破損した九谷焼作品の撮影を申し出ます。
「九谷焼の名工である錦山窯の名作が自然災害で破壊されたことはショックであると同時にそのものを私は美しいとさえ感じた。人間は物を作り、そこに美をまとわせる。壺や器ならば美は不要ともいえるが、どうしても美をまとわせる。人間こそがもつ美学なのだろう」
蓮井は、2011年の東日本大震災でいち早く復興支援で現地入りした経験があります。支援活動の合間に瓦礫と化した景色を撮影するなかで「それまでに感じたことのない興奮を感じた」といい、あらゆるものを一瞬にして崩壊へと向かわせる自然の摂理、それでも美を求めてやまない写真家としての性に残酷さを痛感したと話します。
常々「写真は記憶である」とする蓮井。今回は、これまでのアートワークとは一線を引き「記録」することを念頭に撮影に取り組みました。1億画素の超高画素センサーカメラで撮影された写真はアーカイブであると同時に普遍なる美が写し取られています。
人間と自然の拮抗関係
水平線をテーマに海景はじめ世界中の景色を撮影した連作《PEACE LAND》。同シリーズでは水平線を空と海を上下に分ける境界と捉え、そこから人種、ジェンダー、貧富といった既成の価値観のあり方について投げかけています。果てまで追いかけても水平線に辿り着くことはなく、どこまで行っても消失しない。価値観を分ける境界とは?
「戦争をはじめ世界中の問題は、人間が設定する境界線が原因。では、自然と人間の境界線とは何なのだろう。人間が自然を破壊し、時に自然は人間を破壊する。自然と人間の文化の折り合いをどうするか。我々の文化はなんのためにあり、自然はどうあるべきか」
蓮井は人為の影響がない原生林などではなく、人の手が入りつつも自然の力で維持されている自然林や日常の身の回りにある自然を撮影対象としてきました。一貫するテーマは「人間と自然の循環」。人間は自然の一部であるとの意識から両者の境界を美術的に思考し続けています。
アースワークと呼ばれる巨大な風景作品を作ったロバート・スミッソンは「人間の精神と地表は絶え間ない侵食状態にある」と言い、自身が手がけるプロジェクトを精神の表象世界と大地の物質世界を接続する試みだと説明しました。ここで九谷焼の磁器、ひいては工芸も人間の精神世界と大地の物質世界が接続された表象であることを直観します。
石や土を抱く大地、火、水、空気から物質が生まれ、人間の手によって秩序付けられた磁器。それは震災によって壊れ、自然という無秩序へと進みました。蓮井が黒の背景で撮影したなんとか形をとどめている錦山窯の器の欠損した縁は、人間の精神世界と自然界の裂け目、人間と自然が拮抗する境界線として浮かび上がっています。
人間と自然、人間と物質。そして写真の記録と記憶。拮抗した境界線上のただ一点に普遍的かつ永続的な美が立ち上がる。蓮井の写真にそれを発見します。