存在しないものへの想像
ドラァグクイーン、建物を建てない「非建築家」。そして映画評論に全国各地での町おこしと、フィールドを越えて活動するヴィヴィアン佐藤による展覧会「proof of absence(不在の証明)」。
現代美術家としては精神分析で使うロールシャッハ・テストから着想した平面作品、ヘッドドレスを用いた立体作品を発表するほか対話を通じ相手の発するオーラを捉えて描く水彩画「あなたの似顔絵」、言葉に焦点を当てて美術と言葉の関係性を探る書表現と多彩な才能を発揮しています。本展においても次元を越えた手法で「非在」、そこには存在していないものの表現を試みる作品を公開。
「建てない建築」の概念を提唱し、建築とは家やビルといった物質そのものを指すのではなく考え方であるというヴィヴィアン佐藤。創作に通底するのは「非在」。今ここに存在しているものと存在していないものへの想像を促します。
例えば社会的弱者をケアする場所とは人を収容する建物だけではなく、心の拠り所であり言葉である。生物学上の姿形から分類される性に価値観は固定されてもいない。私たちの思考は現実に形となって現れているわけではないことに気づかされます。
「アートにおいて内容と形式を問題にするとき、私たちは眼前に何を見るのか。『原型』とその『反復』という無限のイメージの量産/受託は、いまだシュミラクルの地獄か、もしくは生ぬるい温床を満喫するしかないのか」
目に見えているがゆえに見えにくくなっているものへの想像。芸術とは目に見えないものを見えるようにする行為だとするならば、ヴィヴィアン佐藤の表現行為は、目に見えているものを見えないようにすることにも本質があるといえます。
張り巡らされた糸を手繰る
本展における見所のひとつに挙げられるのが、蜘蛛の巣や網の目をモチーフとする作品。それは自らの芸術へのオマージュでもあるようです。
「細密画を10代の頃から描いていますが、これは画面を図像で埋め尽くそうとする西洋絵画の空白恐怖症のようなもので、実は今の年齢からはかけ離れている感性なんです。けれども、過去があって今の自分があるわけで、それを否定することなく現在から過去の作品に血流を与えたい。それは、同時に未来からの影響も受けているといえる。過去と未来は現在と並走するものであると思う」
過去のさまざまな要素が絡み合い、ところどころでほつれたり固い結び目になって現在の“かたち”や行動の傾向に影響を与えている。それは、糸をほぐすようにいつでも語り直して救済できるとし、同時に未来を形作っているともいえる。人生に張り巡らされた時間を感じさせる作品に、鑑賞者も自らの経験に照らしながら過去と未来という非在の時間へと想像を巡らせることができることでしょう。
このほか、小説家・カフカの最晩年作品の頁片とタランチュラの抜け殻が収められた立体額や覗き窓のように娼館に迷い込んだような感覚にも陥るヴィヴィアン佐藤の作品。読み解く鍵となるのがエスキース・ドローイング。 芸術家が作品を制作するに至った感情や着想を文字にし、イメージへと落とし込み下絵を作っていくプロセスを明らかにするエスキース・ドローイング。
ヴィヴィアン佐藤は美術鑑賞をサスペンス映画やドラマの推理になぞらえ、自らの作品の真相を探る材料として資料画像やドローイング、文章を公開。採用するには至らなかったアイディアも含め、作品を完成させるまでの作家の思考の流れを提示することで作品を読み解くスリルを感じさせ、より多面的な鑑賞体験を可能にします。
現実から自律した思考を探す
「映画批評も町おこしも、私がやっていることは違う物差しで測り表現すること。複雑な形をした物があるとして、今当たっているのとは違う方向から光を当てる。そうするとそれまでと違った影が現れる。そんな感覚で、今ある価値観をどう変化させるかに興味がある」
あらゆる場面で思考と現実のズレが起こり、モヤモヤとした疑問や不安を抱えている私たち。ヴィヴィアン佐藤の次元を超えた手法と表現。その繊細な作業の積み重ねは、謎を解くサスペンスであり宝探し。現実から自律した思考の在り処を探ります。