未来に遺す激情
8歳から始めた書道をバックグラウンドに、文字のみならず抽象絵画など既成概念に囚われない表現を追求する現代アーティスト、真弓将。3000年以上の歴史がある漢字に生命力を見出し、その色彩を表現しようと墨だけでなくアクリル絵具を使用。広大な景色の中に動植物が雄々しく佇んでいるように文字を捉えた作品からは、ひしひしと生命力が伝わり、文字表現の新たな可能性を感じさせます。
燃え盛る日本の文化
現在、京都を拠点としている真弓は、スマートフォンや財布を持たずに街を歩くことがあります。歩きながら考えるのは「何故、己は作品を残すのか。己の源流にあるものは一体何なのか」。
「京都という街には、人々の生活に密接に結びつき長く受け継がれてきた物事が身の回りにある。日本の四季折々の風物や風習は決して過去のものではなく、今も生きている」
自身の価値観の根底には日本人のアイデンティティがあることを強く認識した真弓。それは「発見したというよりも、開けずにいた引き出しをようやく開けた感覚」といいます。日本人でしか表現できないものが日常に満ち溢れていることを感じ取り表現に昇華させるきっかけになったのが昨秋、京都で開催した個展「PAINTINGS」でした。
その時、生まれた作品のひとつが「ー鵜匠ー」。幼少の頃から、両親に連れられ観ていた鵜飼の光景を、切先鋭い火の粉や炎の温度を肌身に感じる臨場感をもって日本人の心象風景として描き出しました。このように市井の人々が継いできた熱意、そして心の平静を保つ信心も「激情」とし、これこそが未来に遺すべきものとの想いを持って取り組むのが本展「激情-quiet passion-」。
“燃え上がった炎は消えることはない。
さまざまな事象に影響され、揉みくちゃにされてもなお炎は絶えず燃え盛る。
その炎の根源にあるのは言霊であり神仏であり、日本に脈々と受け継がれる文化である。息つく間もなく新しい事物が産まれては、その姿を消していく現代において、それらは絶対的存在ではなくなった。
しかしこんな時代でも、こんな時代だからこそ、後世に残せるものがある。決して目視できない力をもって世界と対峙する”
文字を書くのが書道家、絵を描くのが画家であるといった囚われから逃れ、常識や思い込みと真っ向から対峙しようとするのが真弓の創作の原動力。文字、絵画、立体と形象は違えども作品とは作家の肉片であり、血が通ったもの。作品に刻まれた激情は、作家のものではなく鑑賞者の胸の内に眠る激情だと真弓は話します。
平面作品に加え、構想に5年かけた立体作品を本邦初公開。書道の領域を超えようとする真弓の表現への意気が、これまで以上に感じられる平面作品23点、ブロンズ粘土で造形し漆塗りで仕上げた立体作品4点を展示します。
文字の重力の出現
和紙の上に墨が乗ることで、文字は重さをもつ。書を定義づける道具である筆、墨、硯、紙の「文房四宝」を離れ、文字の重みを現そうとする真弓の試みは今回、絵画表現から立体作品にも広がります。
「芯材に粘土を重ねて肉付けしていく制作作業は、フィジカルな体験。筆で書くのとは違って先が想像できず、現実に立ち上がってくる文字の重量感を前に文字の生命力を改めて実感した」
「ー北の海より・遥かなる玄武の習作ー」といった立体的な文字が風景の中に屹立するのを描いた作品が現実になる、文字が空間に出現するイメージをずっと持っていたという真弓。立体作品の制作を通して創作活動に一貫するテーマ「滲み出る生命」の感触を新たにしています。
紙が誕生する以前、人間の意思伝達、記録手段として発達した文字が書き写されたのは粘土板や獣骨など。保存性や運搬性といった利便性から紙が誕生し、そしてデジタルへ。文字の歴史は、重力の解放であったかのようにも思えます。真弓の一連の作品は、粘土や獣骨、そこに刻まれ現れる溝といった文字がもっていた原初的な物理性を再獲得するものと捉えることが出来ます。
「今の時代に確かな激情があったことを忘れてほしくない。その波を大きく羽ばたかせて、未来へのメッセージとして残したい」
現在25歳の真弓は文字を「書く」のではなく「打つ」時代に生まれ育った世代。新しい世代が、言葉が宿してきた激情を打ち込みます。