日常の香り。その瞬間を写しとる
不穏なトーンにもコミカルさが潜むファンタジーの世界。画家としてだけではなくインテリア、ファッションと多方面で才能を開花させるNaQstoeru.m.j.k.(ナクストエル.エムジェイケイ、以下m.j.k)が活動10周年を迎え、描き下ろし作品のみで構成する展覧会「Savor」。
香りを意味するタイトルは人とすれ違った時の残り香、訪れた場所に漂う香りなどから思い出が蘇ることにインスピレーションを得たもの。香りによって記憶が蘇る瞬間をカメラのシャッターを押すようにして描いたペインティング14点を公開。
「誰かに話しかける、座ってタバコに火をつけるといった動きの瞬間。今までそういった瞬間を描いてきた気がする。それらを思い出し、味わう雰囲気」
一貫して描くモチーフは、椅子と少年のようなキャラクター「sati(サティ)」。家具が好きで絵を描く時もイーゼルでなく椅子にキャンバスをかけているというほどm.j.kにとって仕事、ひいては生活に欠かすことができない道具である椅子。時には四本足の動物のように愛おしく感じるといい、日常の延長線上に佇むファンタジーとして捉えています。今回、作中で描いた椅子を家具職人に制作を依頼。ペインティング作品と合わせて展示します。
「家具は空間に馴染むものだけど、その日の気分であったり部屋に差し込む光などで受け取り方が変わる。(光の)明るさ暗さだけでない非現実的なものでもある」
「今のアトリエは午前中しっかり光が差し込んできて自然光でしか見えない色がある。夕方に白熱灯を照らすと昼間とは違う色が出てきて、そうした色の変化が絵を描くことの楽しみでもある」
アトリエに差し込む陽光とともに移ろいゆく日常。m.j.kはアクリル絵具やスプレーを用いて暖色と寒色を抑制的に組み合わせ、音楽、スケートボード、建築物といったイメージをつなぎ合わせファンタジーを描きます。それは、生活の中にある美という本質をおびき寄せるためのもの。
創作の深みに下りる日常
創作活動を始めて間もない頃から描き続ける架空のキャラクター、サティは「図らずも自分の内面が出ているかもしれない」と認めつつ自身がモチーフになっていることは明確に否定。しかし10年描いてきて「(自分にとっても)どういう存在であるのかフォーカスするタイミング」にあると話します。
本展では、これまでに手がけた作品の一部分にズームし切り取るようにして描かれた作品もあり、10年にわたるm.j.kの創作の背景を探るものとして位置づけることもできます。
「モチーフは変わらずに描いてきたけれど、初期の頃はもっとアブストラクトというか筆を勢いで走らせているような感覚だった。線一本を意識して引くようになりスキルも上がっている今、初期の荒々しい部分を自分でコントロールして表現したいと思っている」
フランスの作家、ギュスターブ・フローベールは「ブルジョアのように規則正しい生活をすれば荒々しく独自のものが書ける」と言っています。アーティストとしての荒ぶる創造性を 求めるm.j.kも、そのようにして作品を完成させます。
「絵を描くのは穏やかな時間。BGMで流す音楽にしてもゆっくりとしたもの。テンポが速い曲をかけるとミスが多くなる。生活が荒れてしまっている時や気分が落ち着かない時には絵は完成しなくなる」
ジャズセッションのように湧いてきたイメージに反応し生まれる怪奇的ともいえる色彩。 単調なリフだけで幻想性を立ち上がらせるような音楽性も感じさせる線。m.j.kの作風はかけがえのない日常に刻印を押すように向き合ってこそのもの。
名も無い生活にある美を求めて
あらゆるものが記号化してきた現代。現実世界はますます記号やデータで優位に占められていく予感があります。m.j.kの画面に漂う沈痛な空気感には、先鋭化するテクノロジーの奴隷にもなりかねない生活者の不安が反映されているともいえます。
産業革命以来の革新期のように言われる近年、若手のみならず多くの作家たちが伝統的でフィジカルな手法での表現を試みるのは人間的に暮らすことの美を見出す実践と映ります。
多くのポップカルチャーがそうであったようにコミックやグラフィティアートと言ったシミュレーショニズム(擬態化)は、細分化され観念的になりすぎているアート、ひいては現代社会における独自性や存在の問題提起として登場しました。それは改めて今、リアルな手法として強度を増しています。
人間的に暮らすことのオリジナリティと手段としてのファンタジー。名も無い生活から立ち上がる美というなくし物をもう一度得るべくm.j.kは午前の陽を浴び、夕暮れに浸かりながらファンタジーを描いています。