複製技術による再現性のないアート
幾何学的でリズミカルな文様、童話の挿絵のようなメルヘン。また3D作品と錯視するかのグラフィティなど変幻するイメージをシルクスクリーン技法で描くアーティスト酒井建治の個展。酒井は東京・半蔵門のオルタナティブスペース「MATTER」のディレクターも務める他、キュレーターとして企画展を手がけるなど多岐に活躍しています。
美術の道を志した高校生の時にアンディ・ウォーホルの展示を観て、原色の鮮烈なイメージに複製で大量に作り上げるリズム感など伝統的な油彩画にはないポップアートの軽やかさに衝撃を受けたといいます。
「とにかく手を止めずに作品を多く作りたい自分にとって、色を調合する必要もなく早く大量に制作できることは魅力でした。これをやりたいと思った」。その後、シルクスクリーンを学ぶ環境が整っていることから京都精華大学版画科に進学。4年次に出品した全国大学版画展では同校初となるシルクスクリーン作品での優秀賞を受賞します。
「微妙なズレで見え方が変化する偶然の面白さもあり、自分でコントロールできない部分を採り入れ再現性のない唯一のアートとして勝負したい」
使えるインクの種類が多いことが特長のシルクスクリーンにあって、使う色はCMYK(青/赤/黄/黒)のみで一度刷り。インクの粘度や刷り重ねる順番をコントロールすることで見え方や印象を変化させます。画材、技法に制限を設け、ひとつの図版を正確に量産する複製技術として発達したシルクスクリーンで再現できない一点物の絵画作品を制作する点がユニークです。
最近ではシルクスクリーンと油彩を組み合せたり、画材をペーパーからアクリルに変えることで「もわれ」表現を取り入れるなど、従来のシルクスクリーンのイメージにはない奥行きのある作風で注目されています。
残されたモノ、コトで何をするのか
本展「Limited」では、先行でオンライン販売をスタートしているシルクスクリーン作品に加え、最近取り組んでいる油彩画作品など計約20点を展示。ひとつのテーマに対して多面的にアプローチした趣の異なる作品群で構成し、グループ展をディレクションしている感覚で空間を演出します。バラエティに富む作品のラインナップに対してタイトルに「限られた、残りわずか」を意味するLimitedを取ったことは、制作の背景にある酒井自身の人生観からきています。
「僕自身、終わりを意識しながら生きているところがあり、残されたモノやコトといった狭い中で何をするのかを考えています」。
SNSによりヒト、モノ、コトにすぐにつながり世界は広がっているように見えて、我々の視野は狭まっているのではないか。この時、酒井は「狭い」と思える日常にこそ潜む深みがあるとし、抽象絵画として描きます。色遣いをCMYKに制限するのも狭い領域でいかに広い表現が成立するのかの試みです。
これは美術評論家・松井みどりが1990年代半ばからの約10年間の日本のアートシーンに見出した「マイクロポップ」概念の系譜とみなすこともできます。これまでの様々な価値のよりどころであった「大きな物語」が失われている時代に、もう取り戻せないものや場所、時間に想いを馳せながら日常の中で小さな断片を拾い上げ、つないで「新たなコミュニケーションと共生の場」を作り出す。そんな「小さな前衛」的姿勢をマイクロポップと名付け、激変する時代の生きる術として提示しました。
生活圏内で目も手も届く小さな物事を拾い上げたもの-世の中の大きな動きから普段の会話までーを刷り重ねる酒井。そこに人の足を止め、それぞれが考え、コミュニケーションする機会を創出するのがアートの使命だと考え、小さな前衛を実践します。
「名前のない感情」の肯定
全人類に共通する価値観や理念が消失するいっぽうで善悪、真偽、貴賎などわかりやすく二分化する気配が強まってもいます。ヒト、モノ、コトは瞬時に世界中を駆け巡り、地球の裏側での出来事が自分の生活を一変させてしまう今、酒井は狭い日常に沈殿する「名前のない感情」に着目します。
「感覚的な”わかる”という気持ちや、”よくわからないけど良い”といった名前のない感情を抽象的、多面的に捉え形にして表現している。形にすることで色や空間が生まれ連鎖的に時間や思考、そしてコミニュケーションが発生する。変わらずにそこにあり続ける絵画(作品)として表現することで、名前のない感情とコミニュケーションを未来に残している」
そうした感情を無理矢理わかりやすいものにしていくのではなく、わからなければ、そのままに残す。わからないを肯定する。今わからないことは、深く考え続けられること。絵画にしてもその方がずっと楽しめるとし、長く続く作品を作りたいと酒井は話します。
狭い日常に生きる無限の深み
「ずっと同じことをやるのではなく、素材や色の組み合わせなど変化し続けるのが自分自身の生き方にもフィットしている。何に対しても執着がないので、飽きないように。今はまだシルクスクリーンをどう飽きることなく出来るか?を考えてますが、一切辞めて油彩画に専念するかもしれない。新しいことを恐怖心なくいつでも始められるように、手を止めない」
わかりやすさばかりが求められる時代に潜む名前のない感情。そんな生活圏内のそこかしこにある陰を見つめ、今できる範囲でコト、モノを動かす。酒井がポップアートの軽やかさで示すのは、そんな日常の尊さ。そこに刷り重ねられた色は、限りある人間が今ここに生きていることの無限の深みなのです。