「用と美」からはみ出し、変態する陶芸
女性の下着や乳房など工芸の枠からはみ出した題材をとり、ろくろの回転や窯の中で燃えたぎる火といった「動」をも鋳込む陶芸家の横山玄太郎。相容れないと思われていたものがぶつかり合い、価値観が変容するさまを陶芸で現します。
1978年千葉県生まれ。現在は東京でアトリエ〈gent ceramics〉を構え制作活動を行っています。横山の陶芸との出会いは留学先のアメリカ・バーモント州の高校の課外活動でした。「ろくろを最初から上手に扱うことができ、いろんな人に褒められて好きになった」のをきっかけにハートフォード大学で本格的に陶芸を学びます。
陶芸/工芸で語られてきた用と美。横山は、その間には違う世界が存在することをアメリカで学んだと話します。その間をゆらぐようにして横山は技法や素材、コンセプトを自由に変えて制作しています。時には粘土以外の素材も焼成する制作スタイルでテーマとするのが「動き」。陶器を動態メディウムとして追求します。
「焚き火や波を眺めていて飽きないのはなぜか? 陶器自体は動かないので、動的な感情を陶器からどう感じさせられるかを考えています。陶芸は作っている途中の一瞬一瞬がとても綺麗で魅力的。僕はそれがすごく好きで過程の瞬間を見せたいと思っている」
ひび割れや垂れ落ちる釉薬といった「破け」「割れ」「垂れ」。陶器には動きの瞬間を閉じ込めたものはあるものの、横山はアメーバーのような形状で今にも動き出しそうなものや、体温や柔らかさが伝わってくるかの下着や乳房をモチーフに選び陶芸の変態を試みます。
いっぽうで横山を特徴づけるのは伝統工芸の常識に囚われない編集感覚。「現代を生きる僕らはゼロからモノを作ることって不可能。イチにどう足し引きして新しいものに変換させられるかがクリエイティブのリアル」とし、陶芸との意外なかけ合わせでエロス、ユーモアなどを表現。ポップに工芸をジャックします。
暴走族の「集会」を茶道で表現
そうして本展「暴走茶碗」でエディットするのは茶道と暴走族。横山は茶道のおもてなしの精神に共感し茶器の制作に取り組み、アート集団〈The TEA-ROOM〉の一員として日本の総合芸術「茶の湯」の可能性を探求してきました。今回、そこにかけ合わせるのが日本のカルチャーのひとつに捉えられる暴走族。
襟足の長いヘアスタイルを思わせる形や既製品の九谷焼に「改造」を施した茶碗。什器から持ち上げるとバイク音や暴走族のかけ声が鳴り、全ての茶碗を持ち上げると「集会」が始まるよう演出されます。
ユニークで愛嬌のある作風の横山にとって攻撃的な要素を取り込むことはこれまでになかったこと。そうした自身の変革を試みる本展のきっかけとなったのは美術家の久保田弘成(※)の作品との出会い。横山は自分自身の創作活動を「型にはまっている」と感じ始めていた時に久保田の自動車を空中で高速回転させるパフォーマンスなどを見て、自分にはないダイナミックな表現に刺激を受けたといいます。今回茶碗5点、オブジェ3点の計8点で陶芸とは相容れない高揚感をもたらそうとします。
人の気持ちを乗せて道は美に通じる
「暴力的に見えるものを陶芸に昇華することでエンターテインメントとして成立させられるかどうか。これまでやってこなかった展示で、どんなアイディアに立ち会えるか自分自身に期待している」
強烈な人間関係の中で手続きが進むコミュニティ。劣等感でも自暴自棄でもなく、社会全体を覆う空気を撹乱する行為。権威への抵抗というよりもリスクゆえの魅力のみ。それをピュアに追求するだけの暴走と、工芸とアートのギャップについて考えてきた横山の波長が合うことに不思議はありません。また子供の頃から横山がやってきたスケートボードと軌を一にするとも捉えられます。
「街でもスケーターを排除するような作りになっているなと感じることはあって、そういった制限を乗り越えようとするチャレンジはアートそのもの。目的が設定された“用”だけの物はアートにはなり得ないけど、用に人の気持ちが乗ったものには美は宿るって思います」
茶道と暴走とは道を追求する点で相通じる。器が人の気持ちを乗せ、道は流れる。ふたつの道が交差する先へ、美の陶酔の全開。
※久保田弘成:各土地に残る土着的な祭礼に着想を得たパフォーマンスや陰茎に見立てた「根石」蒐集など国内外で物議をかもすプロジェクトを手がけている。