常識を揺さぶる不穏な色遣い
クレヨンとオイルパステルで着彩し、軽妙な描写をしながらも観る者に言い知れぬ不穏さを感じさせる南景太の絵の世界。東京での個展は14年ぶりの開催となります。
絵本作家の父を持ち、幼少期から絵に親しんできました。セツモードセミナーに通っていた20歳前後の頃にクレヨンで絵を描くことに心を奪われます。それまで絵具が性に合わず、鉛筆などでモノクロの人物絵ばかりを描いていましたが、自身の身体と絵の間に道具を挟むことなく身体感覚そのまま直截的に色を発露できることは、南がそれまで感じていた生きづらさ、精神のわだかまりの解放になったと話します。
「特に学校は個性を削り、規格に見合った部品を作っているかのようで馴染めなかった。“普通”とか“常識”というものは集団や社会を安定させるのに必要なシステムかもしれないが、自由を奪い息苦しくもさせる。この息苦しさから救ってくれたのが描くことで、クレヨンには味わったことのない解放感があった」
社会に生きる上でのルールは知っておきつつも、それとは一定の距離を置くことで自分の人生に主導権を持てると思い至り、「人の常識を揺さぶる」ことを動機にクレヨンを携え創作を開始しました。
無色透明な世界に感覚を開く
ユーモアのある題材に不条理が潜む色遣い。東欧の寓話のような南の世界観は、ソ連の衛星国家の集合体だった東欧が抑圧された社会の中で磨いた批評、風刺表現を感じさせます。
常識に対して立ち止まって考えようとする南の視点は、26歳の時に体験した「変性意識」によってもたらされます。変性意識はヒッピーやカウンター、サイケデリックカルチャーの流行といった文化的背景から1969年にアメリカの心理学者チャールズ・タートの編著書で有名になった概念で、潜在意識と日常意識の間にある、理性や合理性から逸脱したさまざまな意識状態のこと。
変性意識は頭で考えた思想ではなく強烈な直接体験を通して触れることができ、旧来の世界観とはまったく違う世界の見え方を獲得できるとされています。その体験は南の場合は夢でした。
目の前に止まった虫に心臓を刺し貫かれ、まさに今、自分が命を奪われようとしている様子を「恐怖よりも好奇心がまさって」眺めていたという夢。息が絶えたと思い目を閉じ、再び目を開けると広がっていた「銀色の万華鏡のような」世界。同時に広大で静かな波紋ひとつない湖も現れ「知覚の扉」が開かれたと話します。
この夢から変性意識が二週間続いたことで南は自身が抱いていた常識へのわだかまりがなくなり、世の中の出来事には全て意味はなく世界は無色透明であることを感じ取りました。事象を意味づけするのは人間であり、時に酷く苦しめられる常識とはいつでも取り外しができる枠でしかないのだと考え至ります。
こうして南は意識の檻を揺さぶり、外に逃げることで生の本質ー本来ある自分と世界との関わり合い方ーを追い求めるようになります。常識からの離脱は、南の不思議な色の組み合わせ、セオリーにはない「色で遊ぶ」点にも表れています。
意識の底に降り、再会する自分
本展「ナイストゥーミーチューアゲイン, TOKYO」はクレヨンに出会い、描く喜びが広がった20歳頃からの作品に始まり変性意識体験、東日本大震災をきっかけにした岐阜への移住などを経た20年にわたる創作活動を振り返ります。「絵日記を見てもらうように」約30点の作品を展示。
近年は細かい描き込みが難しいクレヨンを補うステンシルやデジタルによるコラージュ作品など表現領域を広げています。
「11年前に東京から岐阜に移住し、多くの知人がいる東京で作品を見てもらうのはとても久しぶりですし、今回の個展に足を運んでくださる多くの方は私の作品を初めて見る事になると思います。東京には長らく住んでいたものの改めて“初めまして”といった気持ちで、壮大な自己紹介をしようと思います」
先の変性意識は南の死生観にも影響を及ぼしました。咲き誇った花はやがて枯れ落ち、地面に戻っていく。これに喩え、南は死とは大地であり生のベースだとします。生は死から生まれ、死へと還る。死ぬことで生は永遠になり、そこに断絶はないとの考えに至りました。しかし、南はこの捉え方にも正否はなく、生と死という事象をどう捉えているかは個人次第で、そのようにして今見えている世界は変わる。それを知ることが大事だといいます。
普段見えない意識に深く降り、新しい自分との出会いへと導く南の作品。一枚の絵を通して観る者は自分自身に声をかけるのです。「Nice to meet you,again」と。