新作と同時代作家のコレクションで構成
化石標本のように描かれる鳥。針葉樹林のようで血管とも見紛う模様が人体に透ける。クローズアップされた身体の一部は画面を飛び出し、どこからどこまでがひとつの身体なのか判然とせず、山脈や地形といった風景に変容していく。生と死の境界がほどけるさまを描く安藤圭汰。
安藤は九州産業大学芸術学部で洋画を専攻。在学中からさまざまな公募展で入賞を果たし、頭角を現します。2019年にインドネシア・ジョグジャカルタ特別州のアーティスト・イン・レジデンスに参加。イスラムの沐浴儀礼など現地の宗教文化体験に強く影響を受け、以後「生と死/循環」をテーマに国内外で作品を発表しています。
2024年には福岡でオルタナティブ・スペース「MAA TAKA DON(マー・タカ・ドン)」を設立。インドネシア、マレーシアのアーティストらとの交流展を企画するなどキュレーターとして東南アジアの作家の紹介、国内外の若手アーティストの支援活動を精力的に展開しています。
本展は、2023年に福岡・アートスペース貘で開催した個展「灼熱と腐敗」からのアドバンス企画。「灼熱と腐敗」は、滞在したマレーシアの湿度と熱気のなか、生長と腐敗がめまぐるしい有機物のありようから着想を得たもの。新たに付け加えられた「凍寒と発芽」は、凍りつくような寒さに連想する生命の永久保存、そこから新たな生命が誕生する可能性を示唆しています。
早いサイクルで巡る生命と、沈黙する時間にたたずむ生命。両者を対位法的に浮かび上がらせ、生死の間にある「中庸」を探る試み。新作となる平面作品約50点に加え、安藤がこれまでに出会い、影響を受けている同時代の作家の作品をあわせて展示する構成となります。
生と死の中庸を描く
子どもの頃、死んだ虫を一週間ごとに観察し描き続けていたという安藤。「まだ虫であるのか、もはや土や葉っぱなのか分からない状態」を観察する眼差しは、生物と環境の境界がほどける瞬間を捉える現在の作風に結びついています。亡骸を「確認するために」描く線は、標本を作るような冷静さでもって輪郭をなぞるだけでなく、時間の経過と存在の変容を記録。
生命がたえず動き、変化していくありさまを描く安藤の作品に見て取れるのは、大学時代に学んだという銅版画のエッチング的感覚。銅板の腐蝕線のようなムラや自由でのびやかな線、明暗の絶妙な階調によって、白黒を基調とした骸や死のイメージに気配や熱をはらませ、生と死いずれでもない「中庸」を描出するに至っています。
死後を「不可視の層」とし、モノクロームの表現を追求していた安藤。制作で滞在したインドネシアで伝統の影絵劇「ワヤン・クリ」と出合ったことで、色彩表現への関心をもつようになります。白布を張ったスクリーンの向こう側で人形を操って見せるワヤン・クリでは、観客は人形の黒い影を観るものの人形自体はカラフルであることから、「現実では白黒の影しか見えないが、死後の世界はむしろカラフルで解像度が高い」とされます。
そうした考えに触れ、死後の不可視の層は白黒だけでなく色彩に溢れていることを感受。以後モノクロームの冷静さと色絵具のにじみやかすれが生む熱が画面でせめぎ合う世界観も展開するようになります。
関係性と動態としての絵画
新作に加え、少なからない影響を受けた他者ー自身がコレクションする同時代の作品ーとで構成される本展は、東南アジアのアートシーンとの関係性など安藤の創作活動の系譜と自分の絵だけで完結しない表現への目配せを知ることができる内容となっています。
1990年代以降の現代美術のテーマとなった「関係性」を、安藤はインドネシアの言葉にある「ゴトン・ロヨン(相互協力)」を起点に探求。色や線、制作態度といった他者の「熱」に触発され生まれる自作と「保存」された作品との間に「発芽」するものを見定める試み。
額装を最小限に抑え、キャンバスや紙が壁と同化するような展示方法が特徴。どこまでが作品で、どこからが展示空間なのか境界を曖昧にすることで、生と死の輪郭が変わりうることを提示します。
安藤に一貫する芸術実践に、絵画とは死に向かう運動と生まれ出ようとする力が拮抗した動態であることを確認します。