百鬼夜行世界のカオスを描く
ナンセンスギャグ漫画のキャラクターのような表情を見せる招き猫や狛犬。そこに漂う不穏な空気感。日本で信心の対象とされ古来より描かれてきたモチーフを現代の感性で描き、目に見えない領域に美を見出す日本的感性を立ち上がらせるアーティスト、若佐慎一。
広島市立大学芸術学部美術学科で日本画を専攻し、2013年からアーティストとして本格的に活動を開始。江戸時代以前の日本美術の系譜を踏まえつつマンガやゲーム、アニメのポップカルチャー表現を取り込んだ作風で日本の美の概念を表現しています。本展では平面作品と立体作品合わせて約30点を公開。
「日本では古来より自然を脅威として恐れるのではなく、畏怖の対象として受け入れてきました。そこには万物のあらゆる存在に神様が宿るという考え方があり、自然や動物への畏敬の念、祈りをカタチにして日常のなかで共存してきました。見えない存在に対しての畏怖の形式が現代にどのように伝わっているかを考え制作しています」
若佐は、風土によって人間は作られ、かつ大いなる自然の一部である日本独自の価値観が混沌とする世界に大きなヒントをもたらすといいます。
「1990年代のインターネット革命以降、世界はものすごいスピードで変容し続けている。相容れない価値観をもつ人間と繋がってしまう時代にあって人は何のために生き、どのように生きていくのか?自分とは何者か?が問われている」
「あいまい」の美意識
近年のAIやVRといったテクノロジーの台頭によってバーチャルとリアルの区別がつかなくなる未来の予感もある今、歴史という時間の風雪に耐えてきたものにこそリアリティがある。
若佐が膠や漆といった日本で古来から使われる天然由来の画材、数百年来描かれてきた招き猫といった題材をとる理由はそこにあります。かつ同時代に影響を受けた漫画、アニメのエッセンスを取り込むことで「生きる」アイデンティティを追求。示されるのは、人間にとって普遍なるもの。
普遍なるものを表現する上で、若佐が試みるのは「境界を溶かす」こと。キラキラとした光に覆われ招き猫の姿が曖昧となる《超マゼンダ招き猫様》では、光は人間が抗いようなく心を動かされる崇高なるものであり既成概念や常識といった境界を無化するモチーフとして捉えられます。画面に展開されるのは魑魅魍魎が共存するユートピア的世界観。
「日本人には曖昧をよしとする文化がある。時と場合によって境界線の位置が変わることってすごく面白い。いろんな枠組みを取り払ってカオティックな状況を作り出せるのが日本の特徴なんじゃないか。これからますます混沌としてくる世界での共生を目指す上で、そんな日本の価値観がマッチすると思う」
あるものがある想像
日本では太古より不完全、不規則をよしとして「あいまい」に美を感じ取ってきました。一方で所作を追求し「おもてなし」を様式化。モノや空間、そして時間のうつろいに想いをはせる身体感覚もあります。
「作品が、いつ・どこで・どのように『起きて』くるかによって意味が変わるので平面とか立体といった境界も溶かしたいし、作品と空間が溶けるものにしたい。そうして観る人が作品と相対した時に反射的にわき出るもの、五感で感じたものにこそ生きる豊さがある」
近年取り組んでいる半立体の作品も絵画の平面性を越境する試み。白一色の立体作品《白き猫》での粗さを残した輪郭線はあいまいの美であり、ホワイトキューブのギャラリー空間と溶けるようにしてあります。
日本古来の自然観では、山川空以外に棲むものは「産むしてくるもの」とされ「「虫(産し)」と総称されてきました。これは、どこからともなく湧いてくるものを意味し「あるものがあるようにしてあるだけ」という、自然(じねん)の思想につながったとされます。
近代以降に出来上がった日本画の概念の境界を溶かし、自然の芸術を実践する若佐慎一。どこからともなく湧いてくる魑魅魍魎の気配に未来に継がれる日本のアイコンを探ります。