文字から滲み出る生命を描く
作家活動に掲げるテーマは「滲み出る生命」。「人間とともに文字は進化してきました。文字の歴史とは人間の歴史であり、生命そのもの。文字ひとつにも血が流れているのです」。生命あるものすべてに血や鼓動といった色や音があり、人間が育んだ文字からもそれらが滲み出る。真弓は、その生命本来の輝きを可視化します。
「心情が線のブレに現れるほど、文字とは自分自身の鏡。悔しいという文字は本当に悔しい時にしか書きません」。匂いや肌触りを感じ、そして少年のような目で見て湧き上がる感情から文字が現れると話します。その意味で、書く前に作品は完成しているとも。
抱いた感情が文字となり、そこに浮かび上がってきた色彩を表現するため墨だけでなくアクリル絵の具でキャンバスに描く手法にたどり着きました。濃厚に塗り込められた色は血となり肉となり、観る者に前進する力、それぞれの内に眠っている力を目覚めさせます。そこに真弓の言う「情報手段という概念から解き放たれた」生の原理性が感じられることでしょう。
この鋭敏な身体感覚による真弓の書は彼自身のスポーツ経験が影響しています。高校野球の全国屈指の強豪校、石川県の星稜高校で野球をしてきた真弓は「特に高校野球は美化されがちですが、その裏には決してキレイごとでは片付けられない人間のドロドロとしたものが入り混じっています」と話します。野球というスポーツを通して、真弓は、本当に美しいものとは泥臭いものであることを学び、アートに対する考え方を決定しました。
人間の日々の営みである「書」
かつて世界に存在していたさまざま文字。それらは生物の進化と同じように消滅し、形を変えながら生存し、現在に至ります。そのなかで漢字は3500年以上の歴史で多少の字形の変化はあるものの絶えることなく使用され、数万の文字数がありながらタテ・ヨコいずれにも読み書きができます。言語が一般的にタテ、ヨコいずれかの書字方向でしか表せないなか、世界的にも稀な表記文字といえます。
知識や知恵を伝える伝達機能と字の姿形そのものに美が見出せる「用と美の調和」。漢字が、大きな文化的影響をもってきたことは明らかです。それは書き写し、伝え、そこに美を求める人間の日々の営みに他なりません。
書道からのアウトサイダーを自負するものの、文字に人間の営み、生命を観る真弓は、書道の本質を求めているようにも思えます。「心とつながり、感情と同期する文字。筆致による濃淡の表現など方法は違えど、間違いなく表現の軸として書道の影響は大きい」と明かします。
民主主義の揺らぎの気配から、権力や社会的通念など私たちを縛りつけるものを否定し、他人と言葉を交わし協働しながら希望を見出していくアナキズムへの期待が、この数年で高まっています。
書道として不真面目なアイデンティティーでもって、大きな社会的枠組みからこぼれ落ちる価値を拾い上げる真弓の書は、人を追い立てるようになされる「発信」ではなく言葉にできない声に寄り添う「受信」といえます。それは繋がっているようで分断されるばかりの現在の対話、コミュニティのあり方にオルタナティブな見方を提示し、希望を見出すアナキズムと捉えることもできるでしょう。
心の声に耳を澄ませる。そこに真弓は希望の芽吹きを見ています。
アーティストステートメント
今回の展示のタイトルは「Monologue」。
今を生きる人や動物たち、万物が織りなす生と死、服従、対抗、そして繁栄。これまで人類のメインストーリーかの如く語り継がれてきた争いの歴史に埋もれた声無き声に耳を傾ける。それらは一種の同情なのかもしれない。もしくは歓喜の叫び、魂の悲鳴なのかもしれない。自らの心に響く声を届けようとする彼らの目は空虚なまでに、今という時間に縛られ動かない。それはかつて、人類が歩んだ500万年の縮図か。もしくは現代における、空を見上げなくなった人類の縮図か。自らの胸中にあるモノローグを用いて様々なものを感じていただきたい。
ー 真弓 将