写真は即興劇のように
ファッション、広告を中心に活躍するフォトグラファー平塚篤史は1982年東京生まれ。片岡義夫や田中康夫の書籍の装幀画を手がけるなどしたイラストレーター、グラフィックデザイナーの平塚重雄を父に持ち、クリエイティブな環境に育ちました。
平塚は俳優を志し、高校卒業後ロンドンへ演劇留学します。4年間のイギリス滞在中にはメソッド演技を学びながら、舞台やショートムービーに出演。当時出演した映画がヴェネツィア国際映画祭に選出され「隅っこの方ながら」レッドカーペットも体験、帰国後は歌舞伎俳優の手伝いも経験しました。こうした演技の世界での経験が平塚の写真の幹となります。
俳優の道を本格的に歩み始めた頃、カメラマン役のオファーが来た時の為という理由と「趣味の一環までに」遊園地の専属カメラマンのアルバイトを始めます。デジタルカメラを手に入れ、父親の知り合いの写真家の手伝いなどをするうちに演技とは違う表現の魅力に惹かれるようになりました。
昔、父親に連れられて行った撮影現場や家で眺めていた写真集、ロンドンで観たマリオ・テスティーノの写真展といった記憶の断片の蓄積が、平塚に写真のファンタジーを呼び起こし31歳の時フォトグラファーへ転身することを決意。中島清一、小林幹幸、Jimmy Ming Shun(ジミー・ミン・シュン)らに師事した後、独立。ファッション、ポートレート、広告を中心に日本国内のみならず世界で活躍しています。
ファンタジーとしてのフェティシズム
撮影は即興劇のようだと話す平塚。演劇メソッド、特に間近で触れた歌舞伎から導き出したライティングは彼の個性といえるでしょう。
歌舞伎では花道が下手にあり、そこから物語が予感できる。そして、上手には崇拝の対象が存在する。この舞台表現における法則は平塚の撮影術に大きく影響を与えました。こうして平塚が探究するのが「フェティシズム」。胸騒ぎの予感と崇拝の渾然一体を写しとります。
「フェティシズムには性的で変態的なイメージがつきまとうけれど、誰もが密かに抱えているもので恥ずべきことではない。もっと世界はオープンでより自由でいいはず。フェティシズムも新たな変化があっていい。受け入れ触れてみることで世界は変わるでしょう」
元来、フェティシズムは共同体や個人による無生物に対する崇拝を意味します。「呪物崇拝」「物神崇拝」と定義されるものは、特定の身体の部位を愛でたりレザーやゴムの拘束着を着用してのイメージなど身体性に訴えるーセクシャルなーものが主になっています。しかし、こうした崇拝行為は玩具やスニーカー、ナイフ、レコードなど枚挙にいとまがないコレクション趣味にも当てはまります。
いずれも経験や感性、記憶といったそれぞれに異なる個人の秩序の中で、社会的文脈から切り離され独自の価値観を持ち、個別の「生」を始める。やるせない現実からの真っ当な逃避、生きづらさを感じリアリティに欠ける日々の生活で自分にとっての真正な場所を探り当てるファンタジーとしてある。フェティシズムとは、社会の中で窮し屈してしまいそうな私たちが人間性を取り戻す願いといえるのです。
魅惑的な艶を写しとるモノクローム
革、ラテックス、PVCなどの光沢のある衣服に身を包み、性的な束縛、囚われの関係を表象するボンデージ。平塚は世界的に評価が高いラテックスブランド〈Kurage(クラゲ)〉のボンデージ作品と出会い、ラテックス素材独特の「魅惑的な艶」に魅了されます。そして、黒色表現に優れる〈ライカ〉のカメラを手にし、追求するモノクローム表現が「 Your Rubber [ could be your lover … ] 」。本展では、ボンデージファッションを纏った女性の肢体を捉えたモノクロームプリントを、未発表作品含め15点展示します。
「子供の頃、家にあったデザイン資料の中にボンデージファッションの写真集や人形などがあり、それらを観ていて美しいと思っていました。怖れがありつつも触れたい、でも触れられない。そしてどこか死も感じる。その魅力を子供ながらに感じていたのではないか」
フェティシズムの世界観に惹かれつつも、その嗜好を他人に明かすことのできない穢れのように感じていた時期もあると平塚は話します。そして、その性を自らの真正な心の発生として解放してくれたのが演劇であり写真でした。
イギリスで学んだメソッド演劇や当時鑑賞したロッキー ホラーショーなど日本人にとっては奇妙に映る、しかし自由な表現世界。いっぽうで歌舞伎役者の楽屋手伝いとして歌舞伎の世界に身を置いた平塚は、全身に神経を行き渡らせ芝居に向き合う役者はもちろん礼節や舞台を支える職人仕事など伝統の重みを間近で体感しています。
個々の生を慈しみ、愛する
こうした異文化のシンクロとコントラストを通してボンデージを捉える平塚。ボンデージにおける身体性でいえば、掌で触れると滑らかで光沢の奥に温もりを感じる手触りの額縁で作品を完成させ、それに触れながら鑑賞する展示スタイルをとります。被写体と触れ合っているかの錯覚に陥り、触れるメディアとしての写真表現の可能性も開かれます。
「女性に優しく触れるように五感で楽しむ作品としてのYour Rubberが、 Your lover( あなたの愛する人)になることを願っています」
ラテックスラバーに覆われた身体に目で触れ、手で観ているかの没入感。そこに浮かぶ艶は個人の生の輝きであり、フェティシズムとは人間への真正な慈愛であることを確かめることができるのです。