10年にわたる創作の集大成
ナミビアのヒンバ族やへレロ族をモチーフに「先住民的空想人物」を表現した《wonder tribe namibia》、日本の獅子舞を題材とする《Lion Dance》。そして太古から縁起やゲン担ぎの象徴とされてきた昆虫を描いた作品etc.これらのイメージを形成しているのは高級メゾンのモノグラムやファッション雑誌から切り出された記事、そしてマーカーで手描きされたドット模様など。見知らぬ世界の習俗や儀礼、自然物を“ありあわせ”の素材で浮かび上がらせるコラージュ・アーティスト、長尾洋。アメリカ・ロサンゼルスのMirus Gallery(マイラス・ギャラリー)、スイス・チューリッヒのLechbinska Gallery(レヒビンスカ・ギャラリー)といった欧米のギャラリーが作品を取り扱い、DJのBlack coffeeや音楽プロデューサー、ラッパーのSwizz Beatzらがファンとして名を連ねています。
本展「Wild Thought:野性の思考」では、長尾の10年以上にわたる創作活動の集大成としてドイツを拠点とした活動最初期の2012年頃の作品から最新作まで約25点を公開。作品制作とともに取り組んできた世界各国でのフィールドワークで自身が撮影した写真とともに展示します。
長尾洋は1981年神奈川県横浜市出身。幼少期から図画工作に親しみ、名古屋造形大学視覚伝達コミュニケーション科でデザインを学び、卒業後はグラフィックデザイナーとして働いていました。並行してアート作品も制作し、2005年には「ユニクロ・クリエイティブアワード 2005」(※)に入選するなど頭角を表します。日本国内よりも海外のアートフェアで評価が高まり、2009年の香港での個展を成功させたことをきっかけに2012年拠点をドイツ・ベルリンへと移し、本格的にアーティストとして活動を開始しました。
※ユニクロ・クリエイティブアワード:現在の名称はUTGP
原初的な美意識と思考を表現
ヨーロッパでは生活に芸術が根づいておりアーティストとしての充実を感じるいっぽうで「多様な人種が蠢く」社会の中で“他者”であることを突きつけられ、なぜアートを志すのか、コラージュという手法を取る理由、そして自分自身は何者なのかアイデンティティを絶えず問うようになります。
自分とは何者であるのか。そしてヨーロッパやアメリカの価値観がいまだに絶対の基準であることへの疑問。依るべきアイデンティティへの興味関心が「途轍もなく」沸き起こったといいます。そうして西洋ではない場所、近代以前の文化が残っているものに触れるべく、2016年メキシコを訪れたのを皮切りにナミビア、モンゴル、インドと旅し、先住民的生活を送る部族と生活を共にするフィールドワークを行うようになります。
「旅、フィールドワークを行なうなかで独特な美意識や価値観、文化を発見した。同時に国際化、資源の搾取などによって地域住民の精神的基盤になってきたものが失われ続けているのを目の当たりにし、多様で固有の文化はすべて博物館のガラスケースの中にしか存在しなくなるのではという危機を感じた。消滅の危機にあると映る部族とは、私たち自身ではないのか」
こうして長尾が見つけたテーマが「僕らは未来の先住民」。現代を生きる私たちが未来の子孫に何を残すのか? と問いかけます。1990年代から現代美術の世界で浮上したテーマが「他者」。アメリカやヨーロッパを中心にした価値観に疑問をもち非欧米、マイノリティへアクセスする多文化主義の潮流が生まれ、文化人類学や民俗学に倣った非欧米の地域でのフィールドワークを通して芸術作品に落とし込むアーティストが多く現れました。他者、多文化主義といったキーワードが改めて色濃くなっている2020年代に長尾は、その系譜にあるといえるでしょう。
時代を生き抜くシンボル
本展「Wild Thought:野生の思考」は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースの同名の著作からとられたもの。レヴィ=ストロースは、近代西洋の科学的思考からは粗野な「未開人」とされた非西洋の先住民が自然現象や動植物を独自に体系化していることを報告。彼らの思考様式を近代科学とは区別して「具体の科学」と呼び、それを「ブリコラージュ」になぞらえて説明しました。ブリコラージュとは、あらかじめ計画されたものではなく、その時と場所での“ありあわせ”の道具と材料でものをつくる手続きを意味します。長尾は自身の創作手法であるコラージュのアイデンティティをここに見定め、古雑誌はじめ糸や布、流木、時にはバスケットボールのゴールネットなど多様な素材を使い、24時間営業のコンビニエンスストアのコピー機やネットショッピングといった現代的な手続きも踏まえて作品を制作。ありあわせの道具や素材は、どれも用途があり、商品やロゴといった「記号」として存在しています。記号はブリコラージュにおいて転用され変形し、新たな組み替えが行われることで世間の常識をからかい、時には破壊的なインパクトをもたらすものとして存在をあらわにします。パンクスの安全ピン、相互扶助に基づく社会を目指す黒猫、民主主義を守るための傘……記号を携えて私たちはこの先も意見表明をするでしょう。
長尾も記号を組み替え、先住民的な生活を送る人物、天狗や鬼といった怪物を「私たちの中に刻まれている原初的な直感や美意識、そして思考」のシンボルとして表現。それが、混迷の時代を生き抜く大いなるヒントになり得るといいます。テクノロジーや現代の制度に明け渡してはならない私たちの内に眠る本能、民族性が長尾のブリコラージュから浮かび上がってきます。