訪れた土地の廃材をコラージュ
石田真也は、訪れた土地で収集した廃品やゴミをコラージュし仮面や祭壇など日常の祈りをモチーフとした作品を制作する造形作家。日本国内のみならずタイ、カンボジア、中国、台湾、デンマークでの個展やアーティスト・イン・レジデンス参加で精力的に作品を発表してきました。今回、8年ぶりの個展となります。
ファッションへの関心から石田は大阪成蹊大学芸術学部でテキスタイルデザインを専攻。しかし、創作する人生を求めているものの何を作るのかが明確ではなかったといいます。そうした模索の日々、大学2年生の時に訪れたタイで人生の視界が開けます。
生活に根付いた信仰心を目の当たりにし、人の心の中にある目には見えない力の強さを知ります。それまで信仰心を持ち合わせていなかったという石田も自分にとっての神様を持ちたいと思い至りました。
「日本の仏像とは違ってチープな印象の偶像も人々の祈りの対象としてある。それと信仰心の深さのギャップにヤラれた」
こうして信仰の対象となるマスク《the world’s mask series》を制作。その時素材として使用したのが廃材でした。去来したのは過去の記憶。幼少の頃、片方しかない眼鏡フレームやチラシの切れ端など道に落ちているものを拾うのが好きだったこと。大学でテキスタイルを学ぶなか生地を作り上げるだけでは飽き足らず、拾ってきたカセットテープや銅線などを「無理矢理」織機にかけて加工して造形物を作っていたこと。
ずっと忘れていたけれど時間を経て見えない力に引きつけられるように「自分の好きがつながった」瞬間。「見えない力」をテーマに創作する人生が動き出します。
新たな価値観への抜け道
「作品制作のために隠岐の島に滞在していた時、海岸に漂着するものが自分の住んでいる和歌山とは全然違うことに気づいた。廃品は土地を表し、土地が変われば廃品も変わる」
「海岸に漂着したものにはいつまでも残っているものもあれば、いつの間にかどこかに流されてしまうものがある。長い年月をかけて海や空を漂ってきたものと、昨日捨てられたゴミ箱のゴミは全く別の時間や記憶が刻まれていて、それらが一緒になった時に時間達が会話を楽しんでいるような感覚になる」
石田は廃品をコラージュした作品を作り上げ、さらには別の土地へ移動させることでモノが生まれて無くなるまでのサイクルにズレを作り出し、新たな価値観の創出を試みます。こうした手法や意図は2000年代に入ってから日本でも頻繁に起こるリレーショナル・アートの系譜としても捉えることが出来ます。
昔よく聴いていた曲が流れると瞬時に当時に戻れるような「時間が飛ぶ」感覚が好きだという石田。これまで時間をかけて集めてきたものをコラージュした作品で構成するのが本展「Time Conversation」。8年ぶりの個展で留められていた時間や記憶と邂逅します。 花壇の柵やパチンコ台の部品、遊具などの廃材を活用し、門や穴を象った作品を制作。これは仏像の胎内をくぐる「胎内めぐり」や仏堂の縁の下を仏名を唱えながら歩く「戒壇めぐり」に着想を得て、時間軸と相容れない価値観をくぐり抜ける抜け道として示されます
廃材でも同じ形状のモノを多用しシンメトリーを意識して作られる石田の作品は一定に刻まれるビート音のような覚醒性があり、鑑賞者は時空を飛び越える感覚が得られるでしょう。
「あたりまえ」と「ありがたい」の邂逅
「“あたりまえ”と“ありがたい”は対の意味だけれども相通じている。これまで自分を壊してくれる違う文化を求めていろんな土地を訪れていたのですが、いつもの身の回りに自分の価値観をひっくり返すものは転がっていることに気づいた」
当たり前にあるものがちっとも当たり前でなかった、有難い存在であったことは自然災害や疫病の流行、紛争などを通して今、私たちに突きつけられています。石田は以前展示で訪れたデンマークのゴミ捨て場でジュエリーアーティストとホームレスが肩を並べ、それぞれが「必要な物」を探している光景が印象に残っているといいます。
日常に溢れる廃品に刻まれた時間や価値観のズレをならし、つなぎ合わせる石田の作品は「あたりまえ」に潜む「ありがたさ」への祈り、そして人々の友好の希望として捧げられるのです。