焦点をあてず、色をつなぐ
那須慶子は武蔵野美術大学在学中から広告や雑誌のコマーシャル・イラストレーションで頭角を表し、ラジオやイベントで選曲を手がけるなど多岐に渡る活動を続けています。
詩人の父と帽子デザイナーの母を持ち、児童雑誌で絵が表彰されるなど幼少期から絵の評価は高かったものの当時は絵の道ではなく昆虫学者を志していたと話します。自宅の庭のユーカリの木の皮を剥いではその内側を眺めたり、葉脈や昆虫の鱗粉を顕微鏡で観察することに興味があり、自然が生み出す模様に心を動かされていました。病弱で床につく時間が多く、天井にあるシミを眺めては想像を広げていたことと合わせて、那須のアブストラクトアートの素養の一端はそんな幼少期に見てとれます。
わかりやすさへの違和感
思春期に「ファッショナブルで宇宙的な世界観」に惹かれたブリティッシュロックの影響を感じさせる、那須の代名詞ともいえるアーティストのポートレート作品など具象作品と並行して取り組んできたのが焦点を定めない「ノーフォーカス」をコンセプトにした抽象表現でした。これは自然が生み出す模様への関心に加え、父から折にふれもらっていた手紙など言葉の影響があります。詩人の父がしたためるたった一行に、それ以上の世界が広がっていることを感受しました。
「今、SNSで飛び交うのは直截的な言葉ばかり。絵にしても形を正確に捉えることだけが正義とするような風潮もある。私自身モノトーンの作品は大好きですし、作家として線は極力少なくシンプルな表現は理想。でも、わかりやすさを目指すばかりの世の中への違和感がある」。これが那須を抽象表現に向かわせています。
幼少の頃週末に教会に通うなかで、那須は人間は最後には絶対わかりあえると教えられてきました。しかし、政治や宗教は言うに及ばず、日常の人との関わりなど「わかりあえなさ」で世界はつながっていることを知ります。「同じような考えを持っていても、ほんの少しの違いだけで対話は断絶されてしまう。そんなわかりあえなさを乗り越える手段としてのノンフォーカス」。
キャンバスに塗り重ねられる色
本展《Crazy Moments 〜奇跡の瞬間〜》ではキャンバスに下塗りをし、その上に幾重にも色を重ねた作品13点を発表します。水彩画のような滲みとは違う、アクリル絵具による色の積層。色の奥の奥に潜む色は、あらゆる事象には簡単に片付けられない複雑さがあることを示唆します。ここに色と色の交じり合い、生きとし生けるものが交じり合う世界の奇跡を現します。
目をつぶった時に瞼の裏に浮かび上がる星のようなもの、眠る前に暗闇の中で広がる説明のつかない光景を色の重なりで表現できるのではないか。人の心のありようであって、異世界へのとっかかりのようなものを「面白がっているだけ」と那須は制作の動機を話します。
本展のタイトルは、キャンバスに筆を下ろした瞬間から作品が完成し筆を止めるまでの作家にとって「狂おしい」ほどの想いや時間、そして空気感を観る人と共感することを願ってのもの。折り重ねられた色と時間を分かち合うことは生の実感であり喜び。観る者によって浮かび上がる色の違いは、全方位で生の自由を受け入れることを表しています。
これは世界で紛争が起こる度に、命の最優先を訴える作品を発表してきた那須に一貫する姿勢。クレイジーという語感とは真逆の生きとし生けるものへの愛おしさで、複雑極まる世界をキャッチします。
色が交じり、つながる世界
ひとつの出来事に対して、人々は多様な記憶を持ち、同じ土地に異なる時間の層が積み重なっていく。それらが分かちがたくつながっている世界は、時間や視点をわずかにずらすだけで未知の様相を呈します。そういった複雑さを、焦点を定めて単純化しないことが現代に求められるリアリティ。それにより色の奥に、また別の色が見つかることを知るのです。
作家が心のありようを描くのと同じく、観る者もアートで自身の内奥にある純粋な色を見つめます。那須の作品は、わかりあえない世界で生の自由を保つために色の差異に注目することを訴え、色が交じれば交じるほど、交じりっけのない色が浮かび上がってくることを示しています。