クリムト作品から着想したシリーズ
YUMEKAが描く純粋な色彩の画面に硬質な線と内省的な言葉を乗せていくEDO。クールで緊迫感のある作品が印象的なユニットEDO and YUMEKA。
本展タイトルは19世紀末のグスタフ・クリムトの作品『NUDA VERITAS (ヌーダ・ヴェリタス/裸の真実)』から取られたもの。同作に記されているフリードリヒ・フォン・シラーによる「少数でも真実を理解している人に向けて美を妥協なく追求する」との趣旨の言葉に触発され生み出した新作21点。加えてバッグブランド〈SUSIESVELT(スージースヴェルト)〉とのコラボレーションによるバッグ2点も展示します。
絵画に見た人生の光
EDOは1978年愛知県生まれ。父親が画家だったこともあり、画家や舞踏家らとの交流や画材道具など幼少期から文字通り芸術に囲まれ育ちました。しかし、10代の頃は「親への反発もあり」芸術とは距離をとります。デザインの道へと進みグラフィックやファッションの分野で頭角を表します。
YUMEKAは1977年愛知県生まれ。着物の仕立屋であった祖母、洋裁や手芸が得意だった母に趣味として絵を嗜んでいた父と創作が日常的にある家庭に育ち10代の頃より日本画を学び始めます。1998年の公募展での受賞をきっかけに本格的に絵画制作に取り組み、2009年には岡崎市美術館で初の個展を開催。ここでEDOと出会います。
出会いの時ふたりは人生においてどん底にあったといいます。EDOは仕事に行き詰まり、体調も崩したことで生活も困窮。初の個展という晴れがましい機会をもてたYUMEKAも当時病を患っており、人生初となる個展も生きる励みになればと彼女の母親が提案したものでした。
YUMEKAが当時を振り返って「瞳がマットな黒色だった」と話すほど失意の日々にあったEDOは、何気なく河鍋暁斎の作品に着想を得た絵を描き上げたことから生きる目的を見つけ「絵に人生が救われた」といいます。その時偶然訪れたのがYUMEKAの個展だったのです。
YUMEKAは人生で初めての個展かつ一週間足らずの期間で2000人ほどの動員があり、多くの来場者に作品からエネルギーをもらったとの声をかけられ絵画のもつ力を実感。「それまで自分のためだけに描いていた絵が他の人の幸せや希望、日々の潤いになる」ことを知り、絵画制作に邁進するようになります。
「人生の暗い道をさまよっていて、光が差してきた」(YUMEKA)と話すように絵画によって起こった生の情動。その裏に分かちがたく貼りついていた死の欲動。「エロスとタナトス。その間にある希望」が彼らを絵画表現に向かわせます。
この時、ふたりはひと言ふた言程度しか言葉を交わしておらず点ともいえない接点で、お互いの印象は「生気を失った幽霊のような人」。しかし、生の実態も定かでなかったふたりは、その後一ヶ月のうちにそれぞれが訪れた場所で幾度となく遭遇。偶然が必然と思える出会いからユニットとしての創作活動が始まります。
「“今日これを観てしまった”といった偶然かつ必然性を創作において大切にしている。それがすベての始まり」(EDO)
下絵もなく色を入れていくYUMEKAの描法に見られるように偶然と無意識の行為が反映された作風は、ふたりの出会いの時点で決定されたといえるでしょう。
根源的な行為としての絵画
本展はNUDAVERITASのタイトルが示すように物事の本質がテーマ。その意図は、ベージュやピンクといった柔和な色を基調に従来の作品よりも色の積層を少なくした点に見てとれます。
ドレスのスカートから覗くハイヒールを履いた艶かしい足、鋭利なナイフにも見えるハイヒールと口紅がランダムに描かれた作品。これらの具象画には、怖れが美へと変容する危うさの中に人間本来の美しさがあることを感じ取ることができます。
昔からハイヒールを描くことが多いというEDO。子供の頃、自宅で靴の行商人に母親がハイヒールを履かせてもらう光景が記憶にあるといいます。また、父親に連れられ観た山海塾の天児牛大の舞踏。これらは怖れとして彼の記憶に刻まれ、それがいつしか「美へと変わる」体験をしてきたと話します。
1950年代のポスターを思い起こさせるように描かれることで、怖れと美、エロスとタナトスの分かちがたさは日常の中に潜んでいることが示されています。
いっぽう具象画とは真逆に墨象(前衛書道)のように入る黒い筆跡が広大な奥行きを感じさせる抽象画には“色を塗る”、“線を描く”、“文字を書く”という人間の根源的な行為の痕跡がありありと見てとれます。
「父の影響で釣りが好きで自然界の生命と触れ合うことや木々や雲の流れ、色合いといった日常にある何気ない移ろいからエネルギーを感じ、それを常に出し切るという作業の繰り返し」(YUMEKA)
「YUMEKAのエネルギーがあまりにも強く、僕はその感情を容れる器を作っている感覚。しかし、知識や情報でかえって彼女の世界観を狭めているのではないかと迷うこともある」(EDO)
クリムトは最初期に寓意的な女性を描いた作品を多く残しています。それらは女性美に対する礼讃でありながら男性が近づくことができない永遠の謎めいた存在として描かれ、まさに怖れゆえの美を明示しているとされます。
ささやかな日常の美を純粋な感性で捉えるYUMEKAの画面に物語性や秩序を与えていく際の表現の葛藤を告白するEDO。それはパートナーであるYUMEKAに対する怖れかもしれず、そこに予感する美の気配。EDOにとってのヌーダ・ヴェリタスこそがYUMEKAであるとも捉えられ純粋と葛藤が芸術性、そして生命力を宿すことを知ります。
誰もが美しい世界へ
今回コラボレーションをしたスージースヴェルトのバッグではオリジナルペインティングを施し、ボードレールの詩『L’invitation au voyage(旅への誘い)』の一節を引用。アートピースとしてのバッグを完成させています。
この詩は愛する女性を旅へと誘う恋愛の詩であり、その行き先に官能的で穏やかな光に包まれる美の世界を想像するもの。美の世界への誘いと読むことが出来ます。
あらゆる価値観が地滑りを起こしている現在、不安の中で私たちは生きています。不安や怖れを抱く人間が日々の暮らしを生き、ものを作る。正と邪、美徳と悪徳など相容れない価値観は分かちがたく、だからこそ宿る美。誰しもが美の世界へ辿り着ける。この裸の真実の願いとしてEDO and YUMEKAの絵画は描かれます。