美しい色で世界を満たす印象絵画
富士山や林道、荒磯に立つ波しぶきといった自然の形象を絵の約束事にはない自由な色遣いで描いた風景画。こちらをじっと見つめるノスタルジックな雰囲気の女の子と動物の肖像画。カラフルで慈愛に満ちた作風で知られるアーティスト、松尾たいこ。
本展では「美しい色の層を重ねて世界を愛で満たす」アクリルガッシュとジークレー作品約20点を公開します。テーマは「私たちは誰もが見守られている存在であり、ひとりではない」という希望。
松尾たいこは広島県出身。1998年よりイラストレーターとして活動し、『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫・著/文春文庫)、『日本の古典を読む』シリーズ(小学館)など300冊以上の書籍の装画を手がけ、小説家の江國香織や角田光代らとの共著や神社に関する著作を多数刊行しています。イラストレーターとしての仕事と並行し、個展も精力的に開催。10年前からは福井県にアトリエを構え越前焼の陶芸作品にも取り組んでいます。
ポップで独自の強度をもつ画面
松尾の作品を特徴づけるのは、濁りのない色彩の輝かしさ。画面全体の明るさに自然や人間、動物の輝かしさが存分に表現され、不規則な斑の色面は独立性が高く、画面は構成的になりポップでいて独特の強度を持つに至っています。
「波や水しぶきといった形がどんどん変わっていくもの、その日の天気や角度によって見え方が変わるものが好き。そうした光景がこんな色だったら、と想像して色をつけていく」
展覧会タイトルにも取られている噴水をポップに描いた作品《Today is a gift》、松尾が多く描く山をモチーフにした《We start to dance》では目に映った一瞬のきらめきー水しぶきや山肌の表情ーを明確な色彩で分割構成し、それによって絵そのものがリズムと化しています。目で情景を捉えるという生きる喜び、そして自然の揺るぎない堅牢性を両立させている点は注目です。
自然の輝きを捉えた松尾の色遣いは、作家自身の内なる意識の表現に他なりません。松尾は風景を目にし感じたことを言葉に書き留め、キャンバスに向かう際に自身の言葉から色を連想し世界観を膨らませていると話します。
「暖かい風が吹いていたら『丸い』であったり、鳥居をくぐった時に感じる冷たくて澄んだ空気の『威厳』とか、その時に感じたことを書き留めるようにして言葉から色や形を思いつくことが多い」
見えないものを慈しむ眼差し
13年前に書籍の企画で伊勢神宮125社を訪れたことで「私たちは見えないものに見守られ、生きとし生けるものは皆つながっている」ことを感受。ここに生きる希望を見出し、表現の核としました。
当ギャラリーの名前にもある「幽玄」なる概念。目に見えないもの、無意識から立ち昇ってくる美意識は日本文化に深く根ざしており、鴨長明は「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし」(無名抄)としています。
「動物を描くにしても姿そのものを描くのではなく、その時に聴いた鳴き声や仕草から感じ取ったことが絵となる。鳥であればさえずりとか(動植物の)リズミカルな感じを絵の中で表現したい」
松尾の描く人や動物の表情も特徴的です。黒一色で描かれた目からは喜怒哀楽を読み取ることができません。《Don't worry, be happy》の少女とマルチーズの表情のなさは時と場所、人によって見え方が変わります。ここに示されているのは見えないものを見ようとする、あらゆる存在をただただ受け入れる眼差し。
木々の表情、朝晩の光、そして人の心は時とともにうつろいゆき、そのままに受け入れる。松尾の創作のエッセンスは、日本文化にある「うつろい」にあるともいえるでしょう。
この世とは思えない色彩で描かれる松尾たいこの情景。色に万感を込めたそれは、三十一文字のうちに言葉に現れない余情を描きだす和歌のような情感をたたえています。