魂の悦びを解放する“踊絵師”
肉体そのものを表現メディアとし、大きなキャンバスにアクリル絵具で抽象表現を展開するSAORI KANDA。音楽を介し、舞踏とペインティングをかけ合わせた“ 踊絵師 “として世界各国のセレモニーやアートフェスティバルに出演してきました。
世界遺産の沖縄・中城城跡や奈良・天河大弁財天社、岡山・吉備津彦神社に御奉納を務め、カルティエといったメゾンはじめナショナルブランドとのコラボレーションも多数行っています。作家活動20年を迎え、SelfLove Activistとしての表現に挑戦する展覧会「LOVE YOUR SELF」。
五感で感応する儀式としての創作
SAORI KANDAは山口県に生まれ、幼少の頃にイラクやアラブ首長国連邦で育ちます。当時、イラン・イラク戦争の最中で物資が困窮する中、楽しみは父親が仕事から持ち帰る大量のテレックスの紙束に絵を描くことでした。その後、移り住んだドバイではモスクに代表されるモザイク模様や流麗なカリグラフィーなどイスラム模様の美しさに魅せられます。また、黒いベールに身を包む女性たちのミスティックな美しさと、すれ違う時のお香の香りが記憶に刻まれます。
異国の生活で、日本から訪れる人から土産物としてもらう千代紙や和紙の美しさにも共鳴。日本への憧れは強く、浮世絵の画集や着物、刺青の写真集に見入っては「無我夢中」に模写していたといいます。
イスラム文様はモチーフのリズミカルな反復から“目に見える音楽”とも言われ、観る者の精神に安寧をもたらすことで神への祈りや思弁が視覚的に展開されたものとされます。千代紙などの日本文様にもそれは見てとれ、作画を「宇宙のような大いなるものと接続する儀式」とし、五感で感応するKANDAの創作の源泉はここにあるといえます。
武蔵野美術大学在学中から着物の文様や刺青をモチーフにした洋服のデザインを手がけ、渋谷PARCOでのポップアップショップを任されるなどして頭角を表していたKANDAは、2002年歌手の林明日香との出会いで「雷に全身を打たれた」ような音楽体験をします。ここに音楽を介した身体表現への欲動が湧き上がり、踊絵師として覚醒します。
無意識にうごめく創造のエネルギー
以来、音楽家たちとの出逢いが常に新しい知覚の扉を開けたと話し、舞踏のみならず写真、詩作、最近ではVRなどの映像技術まで多岐にわたる手法でもって作家活動のテーマ「”魂の悦びの解放」を実践してきました。
魂の解放は、人間に潜む抑えがたい非理性に着目し、それを押さえ込もうとする理性から逃れるニーチェに代表される思想の系譜と捉えられます。ニーチェは非理性をギリシアの酒の神、ディオニュソスのようなものとし善/悪、男性/女性、清潔/不潔といったいずれかに優劣をつける秩序から逃れる創造性あるものとみなしました。アーティスト自身もコントロールのきかない非理性、無意識のエネルギーに真のクリエイティビティがあるとされる今日の根拠となるものです。
KANDAは「魂に正直に生きることを決意」し、他の誰でもない自分自身が与えられた”生”を真に愛する覚悟を持つことを訴えます。そうして「SelfLove Activist」を宣言、2020年より取り組んできたのが “女神解放” “エロス解放”をテーマとした作品シリーズ。その世界観を本格的に公開するのが本展となります。
聖なる生命の根源としての「性」
作家活動20年にして「性エネルギーの解放(erotic innocence) 」、そして「女神性の目醒め(goddess rising)」はKANDAに明確な意識として立ち上がります。生命の源である”性”とはエゴイスティックな欲望の対象ではなく、隠されるべき恥でもない。聖であり生命の源、創造力の根源(source)であるとします。
KANDA自身、多くの女性がそうであるように性的なことをタブー視する考えのもとで育ってきました。「性的なことを家族はもちろん女友達にすら話すことが極端に苦手で、強烈なブロックがありました。私の中には確かにエロティックなエネルギーが存在する、でもそれは女性として恥ずかしいこと、エロティックな自らを認めたらアーティストとして否定されてしまう、という深い思い込みゆえの恐れ」があったといいます。そこで、なぜ、そういう思考に陥ってしまうのか?を考え抜き、自分の”性”を否定することは、つまり”生”を否定する事ではないか、真の意味で自らを愛する為には今こそ”性”に向き合うべきだと思い至ります。
生まれてきた自分の性=命をリスペクトし、大切に愛するself loveで葛藤ある生を乗り越えようとするのです。ゆえに、一般的に恥ずかしいものと扱われてしまうセルフプレジャー、そこにも疑問を投げかけます。自らを慈しみ癒し、生命を祝福する崇高な行為であるとあらためて問います。そうして産まれた作品“「self pleasure」には自らを深く肯定する姿が描かれています。
KANDAは、踊絵師として自我を離れたトランス状態でライブペインティングする際に、激しいエネルギーの痕跡としての”龍”がキャンバスに生まれる体験をしています。踊絵師としての十数年に渡る創作活動では、自身の内に存在するアグレッシブで行動的な”男性性”中心で突き動かされてきたことを認めます。一方で、この数年でコロナ禍の影響もあり、踊絵師の活動が停止し、自身の真ん中と深く向き合う時間を経て、ひとりの女性として内なる魂の声を聴き、自らの”女性性”を大切に育む段階に来たことに気付きました。
人間の闇に潜む、真の癒し
「アーティストとしてのアグレッシブで男性的な自分とは別に、やわらかさに満ちたエロティックな女神のような私も確かに存在している。はたまた、性別を超えたシャーマニックな自分も、幼子のような無垢な自分も、様々な人格が私の中に在る。一時期は、そんな様々な”わたし”が在ることを自ら疑問に思い、葛藤した時期もあったけれど、今ではそれらの人格を全て認めて、愛してあげようと覚悟が定まった。すべてを慈しむ。自分の中に見たくない他者はいない。わたしが、わたしを、愛する覚悟。勇気を持った」
神田は内なる女神性が目覚め、自己の中で男性性と女性性の両極が愛し合うフェーズに来たことを感じ取ります。そして、そのバランスが取れた先に、生命のエネルギーが更に解放され高まる事を直感。
「性エネルギーを真の意味で認め、信じ、愛してこそ溢れでる生命の輝きがある。他の誰でもない”あなた”が”あなた”自身を、”わたし”が”わたし”自身を真に愛して、この躰と魂に満ちる本来のエネルギーを大切にできるようになったら、それは深い”自信”となって、やがて内側から安心感が湧き出て、自らの周囲に癒しのエネルギーをもたらすと信じています。自らの性エネルギーと深く向き合うことは、己を愛し、他者を愛し生きる上でとても重要です」
ここから2022年春に発表した作品では画風も変化し、これまで使ってこなかった柔らかいピンクや、パステル調の色を多用するようになりました。女性性にフォーカスしたことで作家としての立ち位置が変わりうる、アーティストとして生まれ変わる潮目を感じています。
性エネルギーを真に認めたことで新たに覚醒したKANDA。これを自分自身のみのストーリーではなく、多くの人と今こそ分かち合うべき物語だとして「自分を信じる。愛する勇気を持つ」ことを作品に込めるのです。